そして、今
 
 
  2000年12月、山スカに大きな動きがあり、これが最後の姿となった。
  なぜなら、トタ区の6両固定編成84両がモト区に移動し、トタ区に残った3両編成36両が今日まで残っているのである。
 
 ところが、モト区へ移動した山スカはやがてヤマ区の115系で置き換えられ、その一部は、伊豆急行へ、一部はしばらくB編成を名乗り、活躍したが、やがて廃車になってしまった。
 
 そんななか、唯一の6両編成がトタ区に戻り、M40編成として、武蔵野線の快速や臨時列車に充当され活躍した。
 
但し、この時期、ちょうどあずさ号の183系がE257系に置き換えられる時期であったため、モト区へ移動した山スカをしっかりと記録していなかったことは悔やまれる。 
 
なお、この時に幌の付ける位置が松本寄りクハから高尾寄りクモハに変更になっている。 
 
 2001年2月10日撮影 信濃境~富士見
 
 
 2001年4月1日撮影 相模湖駅 
 桜には若干早かった。
 
 
2002年4月28日撮影 信濃境~富士見
 B編成、最後の活躍
この後、2002年度中にモト区B編成は廃車となった  
 
2000年12月以降の推移は、こちらを参照 
 
 
2003年5月11日撮影 大月駅
 2003年は、中央線塩山~韮崎間開業100周年で貫通扉に記念のシールが貼られた
 
 
2003年5月11日撮影 甲府駅 
 
この後、山スカは大きな 変化なく推移する。
そこでここでは、臨時列車等ヘッドマークを付けた写真をご紹介しよう 
 
惜別スイッチバック街道羽尾号  2008年7月5日撮影 姨捨駅 
 
 
快速むさしの号  2007年5月23日撮影 東所沢駅 
 
むさしの号は、2002年から2010年12月3日まで 
 
 ホリデー快速鎌倉号  2012年7月29日撮影 鎌倉〜逗子
 
ホリデー快速鎌倉号は、2002年から2013年9月12日まで 
 
武蔵小金井駅開業85周年号  2011年1月15日撮影 信濃境付近 
 
 
相模線開業90周年号 2011年2月27日撮影 武蔵野線府中本町駅付近 
 
 
富士急行富士山駅改称記念、こんにちは富士山駅号 2011年7月2日撮影 国分寺駅 
 
 
富士河口湖号 2011年8月20日撮影 豊田駅 
 
 
温泉快速号 2011年9月24日撮影 国分寺駅 
 
 
なつかしのかいじ号 2012年10月20日撮影 立川〜日野 
 
 
むさしの奥多摩号 2012年11月23日撮影 白丸駅 
 
 
むさしの奥多摩号は、湘南色でも運転されたことがある 2012年8月12日撮影 青梅線古里駅付近 
 
 
トタ区の山スカもしばらく動きがなかったが、2014年に入り、とうとう廃車が発生した。 
臨時列車等に活躍していたM40編成の一部と最後のモハ114、800番台を含む訓練車である。 
 
 2013年8月27日撮影 国分寺〜西国分寺
 
 
2014年1月27日撮影 鳥沢〜猿橋 
M40の一部と訓練車の廃車回送 
 
 
 そして、2014年3月25日、ナノ区の115系C1編成がなんと山スカ塗装で出場し、注目を集めた。
 
そのC1編成は、JRマークの貼り付けがなく、立川~長野を往復する日々を送っていたが、
 2014年夏の信州キャンペーンで懐かしの115系横須賀色号として大糸線を走ることとなり、これは珍しいと有名撮影地まで足を伸ばした。 
 2014年7月19日撮影 信濃森上~白馬大池
 
 
 松本駅
 
 
そのほぼ一週間後、1月にその一部が廃車となり、トタ区に留置されていたM40編成の残りの3両が廃車回送された。 
その牽引には、なんとC1編成が使用された。 
 2014年7月25日 すずらんの里~青柳
 
 
2014年12月、とうとう山スカが211系に置き換わる日が来た。 
その日は12月5、6日。 
二日間かけて置き換えられ、トタ区だけでなく、主にムコ区に疎開した。 
そして、その翌週から長野への廃車回送が始まった。その初日の12月9日、すずらんの里にその姿を追った。 
雪をかぶった八ヶ岳や蓼科をバックにタイフォンを鳴らし、去って行く姿に目を潤まさざるを得なかった。 
 
 
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