初めての出会い
 
 
  山スカ115系が中央線を走り始めたのは、1966年12月12日、特急あずさ号運転開始と同時である。(正確には、そのダイヤ改正直前から客車列車を置き換え運転されていたとのこと)
 
 その頃はまだカメラを持っておらず、中央線の長距離列車は、客車であるということが目に焼き付いていたため、記憶もない。
 その1966年12月の時刻表と運用はここを参照。
 
 この時配置された115系は、製造年月日から推測するとこのようになる→編成表 
 
 初めてカメラを持たせてもらったのは、1971年5月、中学一年生の時である。上で言うとおり、中央線にはEF13がけん引する客車が走っており、その時の写真が下である。 武蔵境付近
 
 
 
 同時に珍しい山スカを使用した急行「たてしな号」も撮影していた。これがワシと山スカの初めての出会いである。 (たてしな号の時刻表)
 
 武蔵境〜東小金井 1971年5月
 
 
  この時点で山スカ115系は、運転開始から5年が経過しており、途中ヨンサントオのダイヤ改正などもあり、雑誌を見ると急行「かいじ・かわぐち号」の臨時列車に使用されたり、1970年10月1日のダイヤ改正では、定期の急行「かいじ6号」にもスカ色サロ165−14をはさみこんだ列車(上りは、快速2530M))も登場している。→時刻表
 
 1971年に初めて持たされたカメラでは、喜びいさんでいろいろな場所で写真撮影をしているのだが、当時、断ればすぐに入れてくれた三鷹電車区でもいくつかの115系の写真を撮っていた。
 
サロ165−14(1971年5月撮影)
 当時の編成は、
←新宿 クモハ115+モハ114+クハ115+サハ115+サロ165+クモハ115+モハ114+クハ115
 
 
 定期急行「かいじ号」への115系充当は、1972年10月まで続いたが、その間、不定期の「かいじ号」にも1971年7月から充当されるようになった。
 
 快速表示(1973年2月撮影)
 
 
かいじ号への充当(1973年6月9日撮影、武蔵境〜東小金井)
 
 
 
 
 やはり雑誌によると土・休日の「かいじ・かわぐち号」の運用に入る関係で車両が不足し、その補充として小山電車区から湘南色の115系を借り入れていたというが、その姿も偶然記録に残していた。
 その時の編成は、
 ←新宿 クハ115+モハ115+モハ114+サハ115+モハ115+モハ114+クハ115
 
  小山電車区からの借り入れ車(1971年5月撮影)
 
 
 
 この頃は、電車を選ばす、意識もせずに撮っていたので、元祖山スカの71形も記録に残っている。(1972年8月27日撮影)
 
 
 
 71形は、1976年3月まで中央線で活躍したが、それまでの活躍ぶりを紹介しよう。 
 (1973年6月9日撮影、武蔵境〜東小金井)
 
 
 
 
  中学3年生の秋の遠足で勝沼のぶどう狩りに行った時には乗車している(1973年秋、上:武蔵境駅、下:勝沼駅)
 
 
 71形の活躍と115系の活躍が見られた中央線。一路新宿に向け構内が広かった武蔵境駅を通過して行く  1973年9月
 
 
  新宿寄りに連結されていたクモユニ82、クモニ83も忘れてはならない。いずれも800番台で低屋根であった。 1973年9月 三鷹
 
 
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