JR化後
 
 
  1987年4月1日、国鉄はJRになった。車両配置はそれを見据え、前年の11月に転属が行われていた。
  国鉄からJRに切り替わる時に115系ではないが、201系にはヘッドマークが掲げられていた。それがこの写真である。
 
 1987年3月28日撮影 三鷹駅
 
 
1987年4月1日現在の編成表
 
 また、JR化後はサービス向上が主眼に置かれ、冷房化が促進された。1982年、1983年に4両づつ冷房化されて以降、冷房化されていなかったが、1988年になり冷房化が再開された。以前のAU75といった冷房機器と異なり分散型のAU712となった。これは1990年まで続けられ、30両の0番台の山スカが冷房化された。 
 1993年5月23日撮影 高尾〜相模湖 ライトのシールドビーム化が始まっていた頃
 
 
 冷房化、転属の推移は以下の編成表を参照
1988年10月1日現在の編成表 
1989年4月1日現在の編成表  
1989年10月1日現在の編成表   
1990年4月1日現在の編成表    
1990年10月1日現在の編成表  
 
 1990年代前半は、仕事、育児、組合執行部活動に翻弄され、休日に出かけるのもままならず、撮影機会もかなり少なく、記録も乏しい。
 
そんな数少ない記録の中のいくつかをご紹介しよう。 
 
 1992年1月18日撮影 高尾〜相模湖 子連れで AU75冷房機器搭載車
 
 
1992年4月1日現在の編成表  
 
 1992年5月には小山から4連が転属してきた。これはのちの訓練車になる編成である。
 
1992年8月22日撮影 勝沼〜塩山  
 
 
1993年4月1日現在の編成表  
 
1993年5月23日 高尾〜相模湖 春闘妥結後  
 この頃はシールドビーム改造編成が多く見られた
 
 
 
 
 
 
 1993年は山梨県の「しんせんやまなし」のキャンペーンがあったことから武田菱のヘッドマークをつけたピクニック号が運転された
 しんせんやまなし号はこちら
 
 
 組合執行部活動も終了する1993年9月は、183系あずさ号のいわゆる国鉄色が消える時期でもあり、小淵沢周辺に追っかけていた
 
1993年9月5日撮影 信濃境〜富士見 クハとモハが連結面を向き合わせた変則編成
 
 
 1993年9月5日撮影 信濃境〜富士見 立場川鉄橋上を行く
 
 
 1993年9月5日撮影 新府〜穴山  変則編成
 
 
 1993年9月5日撮影 新府〜穴山 前面強化工事車 0番台に施工
 
 
 
 
 1993年9月6日撮影 鳥沢〜猿橋 前面強化工事車
 
 
 1993年から1995年にかけ、モハ114に霜取りパンタが増設された車両が登場した
 モハ114−1174 1998年3月21日撮影 松本駅
 
 
 1994年5月4日撮影 初狩〜笹子 変則編成 
 
 
 
 
 
TOP