大きな変化
 
 
  1980年代は、山スカ115系にとってもワシにとっても変化の年代であったと言える。東北・上越新幹線が開通した年代、国鉄がJRに変わった年代ワシの就職・結婚・育児の年代であったが、山スカ115系にも多くの変化があった。
 
 まず、1980年3月には、それまで塩山〜韮崎間の区間運転に使用されていた旧型国電を置き換えるため、山スカ115系が再び増備されたが、時代は、湘南色1000番台の時代となっており、そんななか珍しいスカ色の1000番台が登場した。
 
 1979年3月撮影 塩山駅
 
 
 
 
スカ色1000番台 
 クモハ115−1065 1980年3月撮影 高尾駅
 
 
 モハ114−1159
 
 
 サハ115−1027
 
 
 クハ115−1208
 
 
現在のスカ色1000番台 湘南色で高崎で活躍 但し3両のみ 2011年11月28日撮影 高崎駅
クモハ115−1065他
 
 
 サハ115−1027から改造されたクハ115−1512 長野区所属C8編成 2011年9月18日撮影 高尾駅
 
 
1980年4月1日現在の編成表 
 
  大学時代は暇に乗じて(^_^;)、いろいろな写真を自宅近くで撮影していた。0番台も現役バリバリであった。
 
クハ115−181 1981年3月撮影  三鷹駅
 
 
 サハ115−9
 
 
 モハ114−809
 
 
 クモハ115−9
 
 
走行写真も撮ってはいるが、みんなお手軽な駅撮りであった。 松本行き 1981年3月6日撮影 高円寺駅
 
 
 1981年10月8日撮影 武蔵境駅
 
 
 
 
当時、量産形が活躍を始めた201系と
 
 
小淵沢行き 1981年11月19日撮影 高円寺駅
 
 
 1982年3月には、時代の要請を受け、0番台にも冷房改造車が登場した。当初はAU75型冷房装置であった。
1982年3月4日改造 クモハ115−11+モハ114−811+サハ115−23+クハ115−185
1983年12月22日改造 クモハ115−13+モハ114−813+サハ115−24+クハ115−186
 
1985年3月撮影 東山梨〜山梨市
 
 
 1983年度には当時の国鉄の緊縮財政の結果、新車よりも在来車改造に伴うねん出のため、0番台のうち6本が3連化され、サハ115の6両がクハ115−600番台に改造されるため転出していった。このため、4両+3両といった編成も登場した。
その経緯と1984年4月1日現在の編成表は、こちら
 
 1983年の活躍は、今やローカル線に格下げされた中央線辰野〜塩尻間で記録していた。
 
1983年5月22日撮影
 信濃川島付近
 
 東塩尻〜塩尻
 
 
    
 
  
 1984年になると結婚も間近となりあせって(?)結構あちこち行って撮っていた(^_^;)
 
 1984年3月17日撮影 武蔵境〜東小金井、武蔵境駅
   
 
 
 
 
 
 
       
1984年3月31日撮影 武蔵境〜東小金井 新宿行き
 
 
 1984年5月3日撮影
高尾〜相模湖
   
 臨時 3+2+3+3=11両編成
 
                      
 
 
 
 
 
 1984年5月3日撮影 勝沼
 
 1984年5月3日撮影 鳥沢〜猿橋
 
 
 
 
 
 
 
 
 1984年9月22日撮影 武蔵境〜東小金井
 
 
 
 
1984年10月29日撮影 鳥沢〜猿橋 
 
 
 
 
 
1984年12月撮影 武蔵境〜東小金井 
 
 
 
  1985年3月14日、東北・上越新幹線が上野発着となりダイヤ改正が行われたが、地方で短編成でフリークエントサービスを開始することから、三鷹区の115系の中間車が大量に先頭化改造され、地方に転属していった。
その経緯と1985年4月1日現在の編成表は、こちら
 
上野駅では、湘南色に挟まれた山スカの車両も見られた。 1985年3月撮影  サハ115−324
 
 
 
  その後、1987年のJR化に備えての変化も出て、初めて貫通の6両編成が登場した。
その経緯と1986年4月1日現在の編成表は、こちら
 
 貫通6両編成 1994年5月4日撮影 初狩〜笹子
 
 
 
 1986年11月のダイヤ改正は翌年に迫ったJR化を見据えた車両転属が行われたが、まず山スカ115系の所属が三鷹区から豊田区に変更となった。 その経緯と1986年11月1日現在の編成表は、こちら
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