注目の新型
 
 
 1975年3月に登場した300番台は、シールドビーム、冷房装備でピカピカということもあり、当時のワシの中では注目の的であった。 この時配置された115系は、製造年月日から推測するとこのようになる→編成表 なお、当時登場した車両は、いまだに健在である。
 
 この時、中央線の客車列車は全て115系になり、山岳夜行でワシも乗ったことのある新宿23:55発425列車も電車列車になった。
 
 もちろん相変わらず臨時の急行「かいじ・かわぐち号」に充当されることがあり、8+3両の編成も記録に残している。
 
 1975年8月3日撮影 武蔵境〜東小金井
 
 
 臨時の急行に充当されることから相変わらず車両が不足して、この頃も小山電車区の車両が走っていた。 
 
 1975年8月3日撮影、東小金井〜武蔵小金井
 
 
 
 1975年12月、再び300番台が増備され、71形を駆逐していく。そのため、0番台は、あの珍しい中間にサハ2両を連結した編成が、クモハ+モハ+サハ+クハの4両編成に変更されていった。
 
 その後1976年3月に71形は全廃となっており、115系が充当されていた定期「かいじ号」も快速に格下げされている。
 
 この頃とほぼ同じであろう編成は、1979年版国鉄電車編成表で確認できる。→編成表
 
 71形は、1975年11月に富士五湖近くの山に登った帰りに乗っており、これが最後の乗車となった。今でも同様の列車が存在するが、河口湖から新宿行きの臨時列車に充当されていた。
 
1975年11月3日撮影、河口湖駅
 
 
 0番台と300番台が活躍することになった中央線。臨時急行列車には相変わらず山スカが充当された。下の写真の行先幕にも「急行」と入っているのが見られる。
 
 1976年5月撮影、八王子駅
 
 
0番台はもっぱら高尾から先の列車に充当され、高尾から三鷹までの回送も見られた。
 
1977年7月撮影、武蔵境〜東小金井
 
 
新宿からの列車は専ら300番台。甲府行きの行先表示を出し、快速線を走っていた。 
 
1978年撮影、武蔵境〜東小金井 
 
 
1978年3月3日撮影、東小金井〜武蔵小金井 
 
 
 1978年4月に大学に入学し、時間も出来、翌1979年からはかなり記録に残している。
 
1979年3月撮影、猿橋〜大月 
 
 
1979年3月撮影、大月〜初狩 
 
 
1979年3月撮影、初狩〜笹子 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
やはり中央線沿線に住んでいたこともあり、中央線へ出かける機会が多かった。
 
1979年5月撮影、鳥沢〜猿橋