特急あずさ号運転開始50周年記念 
 
 2016年12月12日、特急あずさ号は運転開始から50周年を迎えた。

50年前と言えばワシが7歳の時で、当時荻窪に住んでいたが、特急あずさ号が中央線に登場したことは印象になかった。
ただ、こだま型の特急の絵を描いて家の壁に貼っていたことは覚えているので何等かの影響はあったのかもしれない。

初めて自分のカメラを持たせてもらったのは、武蔵境に引っ越してきて3年経った中学一年生の時であり、それは1971年であった。
早速踏切まで行って撮影した一枚にあずさ号が写っており、その後何枚か撮ってはいるものの、当時食堂車が連結されていたことなど特に気にしていなかった。

今回の50周年を迎えるに当たり、知り合いに昔の写真はないか聞いていたところ、大学の大先輩お二人(C51190さん、Mc40073さん)から貴重な写真を提供いただいた。

C51190さんからはなんと運転初日の新宿駅の出発式の風景と松本から上ってきた記念のヘッドマークをつけたあずさ号の写真を、
一方、Mc40073さんからは、食堂車が連結されていた時代の1973年を中心とした写真をそれぞれ提供いただいた。

その数は膨大なものであり、全部を紹介できないことは、はなはだ残念だが、そのうちのいくつかをアップさせていただいた。

まずは、C51190さんから提供いただいた新宿駅の出発式の風景である。


 
 
1966年12月12日(月) 新宿駅5,6番線ホームの案内 
 
 
 
切符
 
 
出発式 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8:00 第1あずさ 出発 
 
 
 
 
 
 
 なお、第1あずさは、新宿駅を8:00に出発し、最初の停車駅甲府駅を10:10に出発した直後の10:13に甲府~竜王間の長松踏切(第3種)で耕運機と衝突し、
先頭車(クハ181-106)が全治4日間の小破を受け、運転不能となり甲府駅に戻り、
乗客はちょうど甲府駅に上って来た165系404M(第2アルプス)から分割された後部4両に乗り、あずさ号として松本に向かったことは有名な話である。
この時、1時間16分の延着であったとのことである。
 
一方、上りの第1あずさは中央線初の特急運転ということで祝賀行事が松本駅で行われ、小泉長野鉄道管理局長の鋏によりテープが切られたが、
乗車率はあまり振るわず約30%程度だったとのことである。
 
 
 
 上り第1あずさ 高円寺駅付近
 
 
 
上り第1あずさ 新宿駅1番線到着 
 
 
 
 
 ここまでC51190さん撮影

 
 
 次はMc40073さんから提供いただいた写真である。

Mc40073さんは国立にお住まいであった時に昔から写真スポットであった多摩川鉄橋によく出かけられていたようで、
鉄橋を渡る横からの美しいボンネット姿を記録されている。

あずさ号には、かつて食堂車が連結されていた。食堂車の連結は、車両配属が長野運転所に変更となる1973年9月までであり、
それ以降、あさま号との共通運用となったため、食堂車の連結を終えたのである。
その後もあずさ号の一部は、181系で運転されたが、
1975年12月に完全に189系に置き換えられ、美しいボンネット姿は過去のものとなった。

 
初めて撮影されたあずさ号  1968年8月 国立~立川 

 
 Mc40073さんが初めて撮影されたあずさ号の写真である。

1968年ならまだあずさ号は2往復しか走っておらず、時刻を調べ、線路端で待機されたのであろう。

ワシもそうだったが、やはりまだ当時は特急が特別な急行列車であり、こうした写真を撮ることがとても楽しみであった。
 
 
 
 
 

 
多摩川鉄橋を行くあずさ号  1971年10月31日 立川~日野

 
中央線沿線に住んでいると多摩川鉄橋に行って電車の撮影をすることはテッチャンの王道である。

Mc40073さんも秋のすすきと絡めた写真を撮影されていた。 
 
 
 6005M 
 
 
 4M
 
 

 
信濃大町駅にて  1972年2月26日

 
次は大きく場所を変えて大糸線信濃大町駅でのスナップである。

あずさ号は、1971年4月26日からアルペンルートが開通したことにあわせ大糸線に乗り入れるようになった。

Mc40073さんも山にスキーに行かれた時に撮影されたのであろうか、
貴重なカラー写真で、大糸線名物の青坊主ことクモハユニ64と並んだシーンが見られる。

また、モノクロだが、恋人達の語らいのひと時であろうか映画のワンシーンのようなひとコマも残されている。
 
 
 
6016M
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 春先の多摩川鉄橋 上りあずさ号 1972年4月1日 立川~日野

 
多摩川鉄橋はどの季節に行っても絵になる。春先の水ぬるむ頃の風景である。 
 
 
 
 
1972年4月23日 6M 
 
 

 
連休中のあずさ号 

 
4月下旬からの大型連休は人出も多くなる。

今でも車両こそ異なるが、同じような風景が多摩川では見られる。

あずさ号にも連休を信州で過ごす人たちが大勢乗車していたことであろう。
 
 
 
1972年4月29日 2M 
 
 
4M 
 
 
 
1972年4月30日 6005M 
 
 
 
 
4M 
 
 
 
 
 
 
 
後方は初期の高島屋 1972年4月30日 立川駅付近 7M 
 
 
 
1972年5月3日 6M 
 
 
奥多摩の象徴 大岳山をバックに 6M 
 
 

 
5月 光線も美しく 

 
5月はいい季節である。空気も澄んで、写欲が沸く。

日野駅を通過するシーンは見たこともないアングルでとても斬新である。

この頃、あずさ号も4往復となり、だいぶ撮影しやすくなっている。 
 
 
日野駅通過 1972年5月9日 6005M 
 
 
 
101系との離合 1972年5月28日 4M 
 
 
 
 
 
 
 
 
7M 
 
 

 
秋を行くあずさ号 

 
秋もまた写真を撮るにはいい季節である。

すすきと絡めた写真、さらには今でも有名な四方津の鉄橋まで写っており、ワシも同じ頃写真を撮っていたら同じ構図を狙っていたかもしれない。 
 
 
 1972年9月23日 4M
 
 
 
 すすきと  1972年10月8日 国立~立川 4M
 
 
 
 1972年10月5日 四方津~梁川
 
 
 
 四方津の鉄橋 1972年11月9日 4M
 
 
 
1972年11月11日 6005M 
 
 

 
裏高尾の梅 

 
裏高尾は梅郷と言われるくらい梅で有名であり、Mc40073さんもしっかり記録されている。

これもまた貴重な絵である。 
 
 
1973年3月4日 高尾~相模湖
 
 

 
 エル特急の頃

 
「数自慢、カッキリ発車、自由席」というキャッチコピーで1972年に登場したエル特急といった愛称。

あずさ号も1972年に6往復となり、本数を増やしたことから1973年10月にその愛称を授かった。

ただ、あずさ号にも新しい波が押し寄せ、1972年の増発時の半分の3往復は、幕張区の183系が導入されていた。
 
 
1973年4月29日 4M 
 
 
 
 
 
 1973年5月5日
 
 
 
 1973年10月8日 立川~日野
 
 
 
 
 
 1973年10月10日  高尾~相模湖
 
 
 
ご友人と 1973年10月14日
 
 

 
 さよなら181系

 
181系以外の車両が進出してきたあずさ号の181系もいよいよその活躍を終える時期となった。

Mc40073さんもそれと時を同じくするように当時のあずさ号の撮影の幕を下ろしたようだ。
 
 
 
 チャンピオンマーク付き クハ181-3 国立駅 1974年5月13日
 
 
最後の撮影 中野駅付近 並走する緩行線から 1974年11月13日 
 
 
 
 
 
おまけ:運転開始記念券